三重県北部には、全国的にも貴重な、陸上の模擬捕鯨行事が伝承されています。
中でも四日市市の富田地区に伝わる鯨船祭りは国指定重要無形民族文化財に指定されています。
 

富田(とみだ)地名の由来

 昔から美田が多く土地が豊かであったのでこの名があるともいわれていますが…
 日本武尊が東征を終え大和に帰る途中、今の亀山市能褒野で亡くなられ、白鳥となって、恋人のいる今の名古屋市熱田神宮に向かわれたという伝説があります。その白鳥が途中で休憩し、再び熱田へと飛び立ったところが、ここ富田の地で、「飛んだ」がその語源と言われています。またその場所が、富田の鯨船祭りが奉納される鳥出(とりで)神社と言われています。

鳥出神社(2003.8.1撮影)

鯨船(くじらぶね)

民話について

 昔、熊野灘に信心深い鯨の親子が住んでいました。お伊勢参りをしようと伊勢湾にはいってきました。湾内を見物していたときのこと、富田の漁師に出くわしました。その漁師、朝から漁がなくこれはいい獲物だとばかりにモリの準備をすると、親鯨は「お伊勢参りにきたのです。見逃してください」とたのみました。でも漁師は願いを聞きいれず、親子を仕留めてしまいました。
 それからというもの、富田の漁師の網には一匹も魚が入らず、浜はだんだんと寂れていきました。あの親子鯨のたたりに違いないということになり、富田の漁師たちは、鯨の供養をし、それ以来鯨を捕ることをやめ、勇ましかった鯨取りを偲んで祭りには陸上で鯨を追うことにしたということです。

鯨取りの起源

 鯨取りの本場は熊野灘です。尾鷲地方には、秦の始皇帝の命令で不老長寿の薬を日本に求めてきたという徐福によって、捕鯨の技術が伝えられたという伝説があります。それで鯨取りや鯨船祭りでモリを打つ人を秦氏(はたし、はだし)という由来になっています。
 実際の捕鯨は慶長年間からはじまり、和歌山県太地を中心に盛んに行われたそうです。
 一方、民話にも関わらず、実際に富田で捕鯨が行われたかどうかは定かではなく、最初から陸上の祭りとして伝えられたとも言われています。

盆祭り

 鳥出神社の本来の祭礼は、旧暦8月15日です。「かみ祭り」がなまって「かに祭り」「がに祭り」と称され、ちょうど美味しくなるワタリガニを食べる祭りになりました。しかし、この時期は漁繁期にあたり、富田は漁業が中心だったので、漁閑期にあたるお盆に神社の祭礼が行われるようになりました。お盆はもともと祖先を祀るもので神社とは無関係なものですが、このような事情で、神仏が入り交じった、他ではあまり例をみない盆祭りとなりました。その中心が鯨船祭りです。

富田の鯨船祭り

富田の鯨船祭りの起源は、山車を解体修理したところ、文久4年(1864)の文字が見つかっていることから、江戸時代に始まったものと思われます。
 平成元年(1989)には、熊野地方の海上の模擬捕鯨行事とともに無形民俗文化財に選ばれ、
平成9年(1997)にはその中で最も典型的なものとして、「鳥出神社の鯨船行事」が国指定重要無形民族文化財となりました。
 富田地区以外の鯨船は山車が1基であったり、祭礼の一部であったりしていますが、富田の鯨船は、神社丸、神徳丸、感應丸、権現丸の4基の山車をもち、規模において他の追随を許さないものとなっています。

写真は権現丸の舳先のサガリ

 毎年8月14日15日に行われ、14日は町練り(ちょうねり)、15日は本練り(ほんねり)で鳥出神社に練り込んで行事を終わります。
大正15年(1926)8月盆

鳥出神社にて
練り込み前の休憩
トモアゲ

中央通りにて
いざ出発
モリ突きの瞬間

1993年に開かれた「国民文化祭・いわて93」には招かれて参加しました。